やりたいからやらなければならないへの昇華
私の知る限り、自分の目指すべき方向に向かって一歩一歩進めている(それは成功と呼べるものかもしれませんが)人から、
あまり「〇〇やりたい」とはあまり聞かないことが多い気がします。
お店を開きたいとか、居酒屋やりたいとか、そんな気軽なものではなく、
「〇〇しなければならない」と似たような強い意志を持ってやっている気がします。
例えば、もう緑内障が進行するから激しい会社員勤めができないとか、自分にはこれしかできないとか、このお店はこうだがあくまで手段であったりとか。
そこまで自分は追い込まれているまたは追い込んでいる覚悟を感じます。
また自分の強みとなる部分を利用してお金を稼ぎ、本当にやりたいことを同時にもしくは後で達成する。
時々そのやりたいを掘り下げた方がいい人がいます。
例えば、「カフェ」をオープンしたいという人がいます。なぜオープンしたいのか、あなたのもう少し踏み込んだデザイアは、カフェのオープンでなくても達成できませんか?と、思うんです。
または、自分がどんなに得意でも、その地域で必要とされていますか?自分がここで、この地域で立ち上がるべきと思うまで、自分の唯一性を確立できてますか、地域活性化の名の下に、その辺でうまくカモフラージュするんですけども、
起業というのは、自分主体なわけで、そこには必ず「自分が」「どうなりたい」という一種のワガママな野望欲望をそういった公共性でカモフラージュせず、むき出してもらい、そこからやれる手段を考えて欲しいと思います。
「人の助けになりたい」は、「人を助ける自分が好き」な訳です。そこに幸せを感じられるからです。
その助け方、幸せの感じ方はきっといく通りもあるはず。
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